TONE

2004年8月3日 日常
と、先ほどの日記に書いたようなことを思ったので、時間も遅いがギターに集中。といっても大きな音を出せない時間帯なので、CD聴いたりエレキを爪弾いたり、DVD観たり。

で、ビール飲みながら観たDVDなんだけど。

冒頭の曲の映像は緑豊かな景色。

・・・スゴイ・・・。

音楽とはなんぞや。

そう。表現ですよ、表現。

曲を聴いて映像が浮かぶか否か。詞として歌詞がある音楽なら、その詩を理解させられるような音楽なのか否か。詞を、ただ言い聞かせるよりもダイレクトに届ける為の音楽ではなかろうか。

例え、作曲者(というか演奏家)の意図と違う絵が浮かんだとしても。

それは「何か」を思い浮かべさせることの出来る音楽なんだから、スゴイと。

「愛してる」という詞を乗せたメロディならば。

陳腐に聴こえるのか、真摯な想いに聴こえるのか、誠実な愛を思い浮かべるのか、ドロドロした愛を想像させるのか。それは聴く人によって違うのだな。

そこで更に。

プロの曲をコピーしたとして。

プロの曲を、そのオリジナルの作曲者が伝えたいこととは違ったとしても、その曲を弾くことで「何か」を感じさせられれば、それは「音楽」なわけで。
それが「表現」なわけで。

コピーであっても意味のあるもの、無いものになるかどうかの大きな違い。

ましてや音の出る「弦」というモノを直接自分の指で弾くのだから、感情を表現させられない方が未熟なのだ、と思うべし。

音楽で何かを伝える、というのは本当にスゴイなぁ、と、1本のDVDを観て実感。
だから日本だろうが外国だろうが、他人の作詞作曲で人前に出る「タレント」は好きになれないんだ、と。
パズルで言葉を並べた(流行を取り入れ大衆の興味を引くような)歌詞を、ただ聴き易く声域がちょっと広い(で見た目でも大衆の目を引くような)人に歌わせる「音楽」をどうも聴く気になれないのは、自分の中で何も想像出来ないから。

あくまでも俺なりよ。

そういう音楽に感情移入できる人はそれはそれで幸せなんだろうから。

別に。

同じギターを弾くにしても、ノペ〜っと一曲弾き通すのを「練習」と思い、自らに偽って弾いて「ミス無く弾けた」と思うのと、それとは全然違う次元の「弾く」のとでは曲に込める想いは全然違うし。

何よりも音楽として根本的に成り立つか否か。

音楽を奏でる人なら、誰でも自分がどうなのか、を解っている筈。

直視するか、目をそらすか、自分さえも偽るか・・・。

「音は嘘をつきません」

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